台詞「心の中で思ったカードを当てます」のタイミング

全ての奇術がそうでしょうが、
演技冒頭から「ラストはどうなるのか」という現象は言わないほうが望ましいですよね。
言ってしまうと意外性がなくなり、展開が読め、不思議の質が落ちます。
プロの方は「今から紙幣に空いた穴がふさがります。瞬きしないように、よくご覧ください。」のように、宣言してマジックを始動する方もおられますが非常に稀です。
奇術は「これから何が起きるのかを、観客が一切知らされていないこと」が演者側の武器です。

「心の中で思ったカード」というテーマ。

これには様々な手順、設定があります。
『マインドパワーデック』では「スプレッドして、オモテを見て自由に決めたカード」、
『サイレントランニング』では「心の中で自由に決めた数字+観客の選択によって、ランダムに選ばれたスート」、
『インターセプト』では「自由に選ばれた数枚のカードから、心の中で決めたカード1枚」です。

似てはいますが少しずつ異なる意味合いです。
共通点は「演者が知らないカードであること」「1枚に限定されていないこと」「選んだ観客自身しかスートと数字を知った者がいないこと」などです。
これらを総合して「心の中で思ったカード」と呼び、意味付けしています。

「心の中で思ったカード」と言った場合、人はどう解釈するか

さて、奇術の名称、演目はちょっとひとまず置いておいて、単に「心の中で思ったカード」と言った場合、人はどう解釈するでしょうか。
おそらく多数の方が「ハートのクイーンでもいいし、スペードの7でもいいんだ。自由に決めていい。″4つのスート+AからKまでの13個のバリュー″の組み合わせであれば何でもいい。」と思うでしょう。
占いなどでラッキーカラーやラッキーナンバーを持っている人は、それに従ってトランプ1枚をイメージするかも知れません。

先述した奇術3つでは、それをされては困るのです。
演者が困ってしまったところを見せてしまうことも困るので、あえて「心の中で思ったカード」というワードは伏せて、カードを決めさせています。実に巧妙に。

本当に自由に決めて良いのは

『ソート・ウエル・ストールン(ベン・ハリス)』『SUPER 52 CARD CHALLENGE(デビン・ナイト「ライフタイム・イン・マジック-2 」)』などです。
全く無いというわけではありません。また、「(カードを自由に決められるのなら)インターセプトよりソートウエルストールンのほうが優る」ということでもありません。
一長一短があり、どちらも大切な財産だと思います。「どっちかと言えばこっちでしょう」と主張する方もおられるかも知れませんが、どっちも大事です。
完璧に身につけたら奇跡を起こす超人、まるで魔法使いですよ。

『インターセプト』、『サイレントランニング』、『マインドパワーデック』を演じる際、メンタリストは「マークも数字も自由に決めていいですよ。何でもいいですよ」とは言いません。
言わないのですが、観客が後で振り返ってみると「何のカードにでも決定される可能性があったんだな。心の中で決めたんだ。」と思い込ませるような、真に優れた原理なわけです。
「何でもいいですと言えない。ここが弱み。気づかれると困る」という見方もあるでしょうが、「この攻略法が絶妙で面白い。演り甲斐がある」という見方もあります。

「あなたが自由に″心の中で決めたカード″は・・・」と、禁句にしていたワードをいつ言うか

演技冒頭で言ってしまうと、例えばインターセプトでは「心の中で思ったカードって言ったじゃん!なぜ、トランプを引くところから始めるの?『ハートのA』のように1回ですむところを、さらに手間をかける理由は何?」という疑問が生まれます。
この辺りがメンタリストの腕の見せ所の一つでもあります。

「引いたカードは複数枚あり、途中で変更することも出来ました。すなわち自由選択です。変更出来たということは私(演者)はその複数枚のセット内容、組み合わせを知らないわけです。当然あなたはカードを裏向きで引いていますし、私にとって全く情報のない複数枚のオモテを見て自由に1枚を決めていただいたわけで、そのカードはあなたの心の中にしかありません。したがって、心の中で思ったカードです。」
これがインターセプトの論理です。

「間違いなく、これは心の中で思っただけのカードを当てられたんだ。」

この表向きの論理を台詞によって明快な論旨で展開するか、もしくは下手に説明的になるより、「とても難しいことを演ろうとしてると、わかりますよね」ぐらいに留め、多くは語らずとも観客が自然に「これって、心の中で思ったカードだな」と考えてくれることを期待するか、どちらかでしょう。
この後にカードのオモテを見せていって「出たか、出ていないか」を当てようとする辺りから「普通のカード当てとは違うな?」と自然にわかってくれるように手順構成されています。
ラストに色やスートに関する情報を読み当て、「間違いなく、これは心の中で思っただけのカードを当てられたんだ。」と観客は理解し、確信し、驚愕します。

『心の中で思っただけのカード』というワードは演者側から言うタイミングが難しいもので、早すぎても遅すぎても良くありません。私は手順の都合上、観客から9枚または6枚を受け取りデックに混ぜて、シャッフルしながら言う台詞だと思っています。カード決定後ですね。
決定前は身構えられてしまいますから、演者の都合(インターセプトが実は『52枚から自由に思ったカード』とは言い切れない点。見えていて気づかないシークレットな『枠』『範囲』)に気づかれてしまいます。

「とてつもなく不可能設定の高いカード当て

別のカードマジックで、よーく混ぜたデックの中央から10枚ぐらいを抜き出してもらうと、そのパケットは「規則性がなく、予測が不可能だ」と勝手に思ってくれます。冷静に考えると「デックの中央付近の約10枚」と指定しているわけです。という形式のフォースがありますが、それに似た『見えない指定』をインターセプトでは巧妙に行っています。異なるのはフォースではないということぐらいで、枚数という『枠』は演者が事前予測できるものです。

私はインターセプトを、その仕組みの上で考えると「とてつもなく不可能設定の高いカード当て」だと思っています。
演出としては勿論、カード読心術に間違いありません。からくり、トリックとして、インターセプトはカード当てに属します。
純粋なマインドリーディングとは言い切れない部分があり、演者が「心の中で思ったランダムなカード」「テレパシーキャッチ」「あなた以外誰も知らないカード」「赤いカードですね」などの台詞演出を加えなければ、「不思議なカード当てだなあ」という感想どまりのはずです。

インターセプト特有の当て方がありますよね。「これでは・・・さすがのメンタリストも間違えたな?」と思わせておいて実は当たっているという。
それは質感が、マインドリーディングというより究めて手品寄りです。そういう点も含めて「インターセプトはカード当て奇術」なのです。
勿論、その読み間違え、誤答に対し、主張を曲げない演者の姿勢が、カードを知るテクニックに結びついていることは確かで、ここはインターセプトの″味″の部分です。爽快ですよね。

「今ここにおられる人、全員が知らない」

常々、良い台詞だなと思うのが、「そのカードは私、知りませんよね?」ではなく、「今ここにいる人々、皆があなたの心の中のカードを知りません」これです。
演者が「私は知りません」と言うと「それは確かにそうだけれど、これから当てようとしている人が何を言うんだ。なぜわざわざ・・・?」と、少し引っかかります。
「『私は知らない』って・・・? マジシャンは本当に知らないのだろうか。」と今までの手順を巻き戻して考えてしまう危険性があります。
観衆がいなくても(1対1でも)、「例えばこの部屋に、どなたか第三者がいて今のシーンを見ていたとします。一部始終。それでもあなたの心の中のカードは推測さえ出来ません。ビデオに撮って何回見直したとしてもわかりません。世界中の誰ひとりとしてあなたのカードを断定できる人はいないのです。」という、あえて演者を省いた言い回しのほうが自然で、「その通り」と納得しやすく説得力があります。「今ここにおられる人、全員が知らない」という台詞は、スワミギミックなどの演技でも使えるものです。

自分の言葉で話す

テレビで見る謝罪会見、釈明会見は、事前に用意された内容を読み上げられてしまうと、途端にがっかりしてしまいます。
『見て』『読んで』しまうと、その言葉に誠意が感じられないのです。滑舌良く、しっかり通る声で、理路整然と的確な釈明であったにせよ、読んでしまっては台無しです。
はたしてそれが御自身の真意なのか疑わしくなってしまいます。

対し、何も手にせず、何も見ず、会見に応じる人物は、喩え内容がボロボロであったとしても、小さくか細い泣き声だったにせよ、今は自分の頭で考えて話しています。
潔さが見え、その姿勢は買いたいところです。何か用紙を持ち、見て話すのと、カラの手で質問に答えるのとでは説得力が違います。
前者はただ単純に書かれてあることを読んだだけかも知れません。内容を本人が把握していない可能性もあります。
後者は仮に誰かに知恵をつけられたにせよ、まだ「自分の言葉で話そう」という意志が見えます。

インターセプトでも、デックを見ながら「赤いカードですね?」と言う演者を見て、イメージキャッチしたと誰が思うでしょうか。
それって、カードの状況と観客の返答を照合しようとする、ある種の計算高さを感じませんか。マインドリーディングをするのなら、見るのは観客の心です。瞳です。表情です。
ということで、デック内のターゲット箇所は暗記し、カラの手で「赤いカードですね?」と言いましょう。

(会見は、その案件が重要であればあるほど、言い間違い等を防ぐために事前に原稿を作成して臨むものです。上記は、案件と呼ぶほど問題視されていない会見をあげ、あくまで喩えとして取り上げたに過ぎません。大切であれば用意周到になって当然です。奇術はひと通り台本を作っても即興で臨むもの。そのように見えるよう演じるべきだと考えています。)

「見て決めただけのカード」と「心の中で思ったカード」

『ザ・コード』の実演動画にあるように、ドリブルしてストップをかけさせ、上パケットのボトムカードを見せるタイプのカード当てがあります。
『スプリングボード』解説書6頁にも、その類のカードの知り方が掲載されています。

この「観客の手で直に引かずに、見て決めただけのカード」手順は、確かにランダムに選ばれた1枚であり、見て決めただけのカードですが、厳密には「心の中で思ったカード」ではありません。
「自由に決められるカード」の意味合いが異なります。観客の意志は「ストップ」と言ったタイミングのみで、カードの数字やスートを指定できません。
「自由に心の中で思ったカード」というより「自由に止めたところにあった、心に刻んだカード」です。

広げられたトランプから1枚引いて覚え、返すタイプのカード当てを見慣れた観客は、「直に引いていない」「見ただけで手がかりがない」という言葉に誘導され、ドリブル式でも「心の中のカード」として納得してしまう率が高いものです。
この辺りの観客としての感覚は、既にピュアな心で奇術を見られなくなった手品師、純粋な観客には戻れないマジシャンにはピンとこないものです。
自由にストップと言えるドリブル式であれ、見て覚えただけのカードであれ、カードを引いて戻す作業が無かれ、コントロールも出来ればピークも可能、フォースも出来ます。
それらの方法を知らない観客のみ、このドリブル式で定められた1枚を「心の中で思ったカード」と捉えるのでしょう。観客側の条件は「テクニックを知らない」ということです。

演者側の条件は、やはり演技力です。
ごく普通のカード当てを、どこまで読心術まで近づけられるのかは、どうしても演出にかかっていると言えます。メンタリスト、腕の見せ所です。
大きく2通りに分けられますが、1つはカードフェイスを知っている場合です。ピークやマークドデックなどでスートと数字を知っています。色を言い当て、スートを言い当て、数字で躓いたかのように見せて正解のカードを抜き出して当てる。
スケッチブックやメモ帳に「ハートの3」のように名称を書いて「心の中のカードは何でしたか?」と訊き、正解のカードをコールさせてメモを公開、など。強烈です。

本当に心の中のカードを読み取る:マインドリーディング演出

マインドリーディングをしていると魅せるのですから、一度は演者もカードを忘れ、本当に観客にカードをイメージさせ、本当に読み取ろうと試みるのは良い手です。ぐっとリアリティが増します。
「どうも本気では念じてくれていないようだな」と思えばあえて「何も見えません」と言ったりする方法も有効です。
「もう一度、心の中にあるカードを宙に描いてみてください」と促して徐々に当てていきます。特に観客の所作、身体のどこか、何かの動作があったときのみに、演者はスートがわかったりするほうがリアルなのです。私は眉の動きや肩、両手の組み方、呼吸などを見ています。
念の為申し上げておきますが、カードは知っているのです。知っていて、観客からの送信サインのような信号を待っている状態ということです。何のアクションもないのに念を受信できるのはおかしいような気がします。そういうカタイ時は「一旦、イメージすることをやめましょう」と提案し、リラックスさせ、相手が椅子に座り直した瞬間に「ん?」と、急にカードの色がわかった、という演出など、効果的です。
ただし、メンタリズム現象そのものを嫌う人だったり、心を読まれることを敗北と考えているような人が相手であれば、なかなかスムーズな演技にはなりません。
そのように察知したらマインドリーディングという演出は中止してカード当てとして終えたほうが良い場合があります。
観客を徒らに疲労させてはなりません。そういう意での『察知するマインドリーディング』は必要です。

2通りに分けられると言いました。もうひとつは「カードフェイスの情報は全く知らないが、枚数めを知っている」という場合です。こちらのほうが演じやすいかなと思います。
トップコントロールして5枚ランで加えるなど(6枚めにあるとわかっています)、ピークという作業1つと、正解のカードの暗記作業を省略できる利点がある方法です。
勿論、読心術演出ですからカードが決まってからデックを見てはなりません。
マインドリーディングでデックに視線を落とす意味がないのです。デックに情報はない設定です。
見るべきは相手の眼です。観客の表情を観察しながら、的確にコントロール出来るスキルは必然的に不可欠になります。

トップから6枚めにカードコントロール後、観客に対しオモテを見せていってトップから8枚めあたりで手を止め、インターセプトのように「出ましたね?」と確信めいた表情で言います。
こちらのほうがフィッシングより「心を読まれた」感じが強いかも知れません。何故なら、覚えたカードはポーカーフェイスで通り過ぎなければならず、無表情で居続ける事は実際には難しいからです。
ドキッとしますよ。

カード・マインド・リーディング

演出次第でカード当ては、カード・マインド・リーディングになります。(どちらが格上という話ではありません。) 言わずと知れた名作・エモーショナルリアクションはその典型的な例、最たる例です。
『インターセプト』も裏を返せば、演者が何を見せようとしているのか明確でなければ、それは単なるカード当てと受け止められてしまいかねません。
その防御のためにまず、台詞「心の中で思ったカードを当てます」のタイミングを考え、御自身なりの台本を作ってください。
『インターセプト』は名作です。大切に、楽しんで演じていただきたく思っています。

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