マジックを見せてはならない相手
昔のドラマで「マジックを見せてはならない相手がこの世には3人います。
まず1人目はマジシャン。専門家に見せてはなりません。
2人目は子ども。子どもは思った以上に批評が辛辣です。もう一度見せろ、道具を調べさせろとワガママを言ってきます。
3番めは犬です。マジックを理解していない者にマジックを見せても無駄ということです」という台詞がありました。馬鹿馬鹿しいようですが言い得て妙、核心をついていると思います。
4番めとして、親や兄弟姉妹もマジックを見せてはならない相手に属すると考えています。この世で演者のことをこれほどよく知っている人はいません。メンタルマジックの魅力のひとつ「もしかしたらこれって手品以外のなにか、別の能力かもしれないなあ」と、間違ってもそうは思ってくれないのが家族です。演者にそのようなパワーがないことをよく知っていますから。
5番めはその最たる例だと思いますが、『マジックそのものが嫌いな人』です。存在します。
長くマジックを演っていると、なんとなく「この世にある、常識では考えられない不思議なことに対して、人間であれば全員が興味を持つ」と盲信しがちですが、これは誤りです。
「ヘタな手品は嫌いだろう。すぐタネがわかる手品は嫌いだろう。しかし上手い手品なら食いついてくるに違いない」という考え方も、『マジックそのものが嫌いな人』には通じません。
何年もかかって習得した技術を駆使してどんな不思議を見せようが、フラリッシュのような見事な手捌きを見せようが、「だからどうした?」のように急にそっけなくなる人、これが『マジックそのものが嫌いな人』です。人柄が悪いわけではありませんが、普段とガラッと雰囲気が変わります。演者としては「もしかしたら種明かしを求めているのかな?」と思うかもしれませんがそうでもないようです。種も仕掛けも興味ない人と言っていいでしょう。
音楽の世界・・
ピアノを演っている人に訊きました。
「音楽は全世界共通のコミュニケーションツール。音楽を嫌う人はいませんね」と。
ところが返答は「そうとは限らないんですよ」でした。意外ですが、とことん音楽を嫌う人はいるそうです。
私達マジシャンはマジックの魅力に取り憑かれ、視野が狭くなっている危険性があります。
「なかにはマジックを嫌う人もいる」と知っておくべきです。
私は極端で、少々単純すぎると思いますが、トップコントロールだけで数時間楽しく遊べます。
カップアンドボールだけで気づいたら1日経っていたこともあります。私にとっての「当たり前の楽しさ」は、常人にとっては「異常」でしょう。
このあたりの感覚に気づいた頃、「『マジックそのものが嫌いな人』は存在するな?」と気づきました。
マジックをいつ誰に見せる?
日常生活のヒトコマで、誰かに求められて披露するなら構いませんが、こちらから「趣味で手品を演っています。見ていただけませんか」とお願いしてから実演してしまうと、そのマジックの良さは半減します。ぐっとそこは我慢し、リクエストされることを待ったほうが賢明です。
想像してください。
「手品を演りますよー」と注目させてから、ぺしゃんこの紙袋からワインを出してみせる。
夕食後、デザートが出てきたタイミングで、ぺしゃんこの紙袋からワインを出してみせる。
マジックは、求められている時に演ったほうがウケます。
毎日磨いた技術、一生涯披露する機会が訪れないかもしれません。趣味で手品を演っているアマチュアであれば。
それでも磨き続け、常にセットアップしておくべきだと信じています。
護身術を身に着けた達人は一生使わないかもしれませんが、その技術を錆びつかせないように毎日研磨しています。マジックも同じでしょう。
持論ですが、マジックを愛する人達、手品師同士が集まって奇術談義し、そこで披露するマジックは設定としてハードルが低いものです。
皆、マナーを知っていますから。おとなしくあつかいやすい、優しい観客です。
また、「○○(マジックグッズの商品名)の実演」という前提があって演じるマジックはマジックではないような気がします。
それはその商品の長所を魅せる技術です。観客は「何を使い、最後にどうなるか」を知っている場合が多いわけで、それは手品ではないと考えています。
したがってサイトの実演動画はマジックの実演動画ではありません。
手品の強み
手品の強みは、観客が「演者は何を使い、最後にどうなるか」を知らないという点、ここに集約されている。
だからこそ強い錯覚が生じる。錯覚を楽しむもの、それがマジックです。
(手品師同士が集まり、例えば「ヒンバーワレットの賢い使い方」を見せ合うこと、これはマジックではないと言いましたが、価値がないとは思いません。名称のつけにくい、立派な趣味だと思っています。)
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