演者目線の奇術と観客目線の奇術

しっかりと演じる大切さ

プロマジシャンの方で、古典的なマジックをしっかりと演じきる方がおられます。
20年前に見た際は「オリジナリティがなく、次にどうなるかがわかっていて面白味がない」と思っていました。
レモンが置いてあって、サインカードが消えたら、「これって、レモンから出てくるよね」とわかってしまいます。
アシスタントの女性を寝かせ、演者が中央に立ち、おまじないの動作があれば「女性が浮く」とわかってしまいます。
それが見慣れた光景だからです。
私達は「プロマジシャンだったら、きっともう一捻り有るだろう」と期待しているものです。思った通りやられると時間の無駄のように感じたりします。贅沢な話です。

奇術は『現象』『原理』『演出』

私達アマチュアは「もう一捻り」を常に求めています。
奇術は『現象』『原理』『演出』で構成され、成立していますが、私達が注目するのは大抵、『原理』(どうやったか)です。
でも、最も難しいことは『現象』(どうなるか)を考えることではないでしょうか。
『演出』(味付け)も難しいですが、自分の個性さえ理解していれば何とかなります。

手順途中、ほんの少しミスがあったとしても、現象に対して「何という発想力だ・・・!」と思わせたら立派なショーになります。
それに味をしめると「もう一捻り」にこだわるようになり、度を超えると、演技全体が冗長的になりがちです。

プロの演技は何時間観ても飽きません。

古典であってもです。それは人としての魅力があるからだと思います。アマチュアはどんなに技術があっても、何時間も人を惹きつけることは出来ません。
先ずアマチュアはそれを知るべきだと思っています。私も何時間も演るつもりは全くありません。1時間もやらないと思います。(5分で終えたいかな・・・。)

手品仲間の前で披露するなら、多少長くなっても構いませんし、先程から述べている「もう一捻り」があったほうが良いと思いますが、一般の方が欲しているものは9割が『鮮やかさ』ではないかと思います。
「そう来るとは思わなかった!」と喜んでくれるのは通好みの見方でしょう。
今日初めてマジックを眼の前で見る人に対し、「もう一捻り」を加えるとしらけてしまうというか、目が点になり、何とも微妙な空気になります。
初めて奇術を見る人は、「捻らないのが捻り」です。「当てられるわけがないのに当てる」から驚くのです。
一捻り入れてサッカートリックを行うと「当てられるわけがない。やっはり当てられなかった。と思ったら、当てるのか。何をやりたいんだ?」となり、捻り過ぎなのです。
マジシャンの常識は、一般の方の非常識。

だから今日も私はラストトリックをしっかり練習するのです。
今日もきちっとしたトップコントロールを練習するのです。
確認作業の一つですが、毎日やらないとどうも安心できません。
IBT(ブックテスト)メンタルフォースサイレントランニングインターセプトオクルターツムのどれか1つでも身につけたら素晴らしい兵器になります。
しかしその前に、先人たちが編み出した古典的奇術は、(オチが分かっていても、よく見かける奇術であっても)しっかりと出来ていたほうが良いはず。
インターセプトはいわばナックルボールのような変化球です。通常のカード当てというストレートがあって活きる奇術だと思います。
メンタルフォース、サイレントランニングはチェンジアップみたいなものです。見た目はそれほど大したことがないケースがありうるのですが、勿論、身につけるのは大変です。
これら変化球を「すごい・・・!」と思ってくれるのは直球(シンプルな現象。古典)を見た人たちだけです。

目新しいマジック

目新しいものを求めるのは私達マジシャン達だけです。この論がもし違うのであればどうして「レモンからサインカード」「美女浮遊」が、こんなに長い間愛されているのでしょうか。それは一般の観客が欲しているからに他ありません。

偉そうですが、「アマチュアでも、何のために、何に向けてマジックを演っているか、は考えるべきでしょう?」と、本気で思います。
その答えが「自分のためだけに」であれば、長くても良いでしょうし退屈でも良いと思います。それを責めはしません。趣味で演っているならそれもありです。
人に奇術を見せないマジシャンっているじゃないですか。それもありです。恥ずべきことではありません。
それでも最低限、「何に向けてやっているか」は考えてください。
この意識は、鉄壁のブレイクを身につけるより大切ではないかと思います。
そのブレイク、「何に向けてやっているか」です。ブレイクは物理的に他のカードと混ざらないために行う技術です。
でも「何に向けてやっているか」を考えて「人前で披露するため」と一応の結論を出したのなら、「ただ単純に物理的に混ざらなければ良い」のではなく、「心理的、視覚的には混ざったように見えて、物理的に混ざらないブレイク」であるべきではありませんか。
他のカード群と混ざらないと見せるのがブレイクではなく、混ざったように見せなければならないのがブレイクだと思います。境目がないのがブレイクでしょう。
ということは混ざったのです。観客目線で。

・演者目線の奇術と観客目線の奇術

マインドパワーデックマスターマインドなどのトリックデックを使う際、デックの検めを兼ねてリセットのようなパケットトリックを演ることがあります。
30秒~1分未満で終わるパケットトリックはジャブのつもりで、トリックデックによるマインドリーディング、CAANがノックアウトトリックの強打、メインのつもりです。
ところがさらっと演ったジャブの演技のほうが観客の心に残ることがあります。
このパターンが多いと、「ちょっと長めの壮大なトリックは要らないのではないか」と思い始めます。
私の結論は、強打は自分のモチベーション持続のために必要、ジャブは観客の満足感ために必要で、どちらも大切、と思っています。
1つ1つが大事なんでしょうね。

演者はもう既に『ピュアな観客の眼』には戻れませんから、台本作りの際に精一杯の想像力を使って「観客の気持ち」になってみても、上記のパターンは起こりうることです。
「演ってみるまではウケ方がわからない」と思っていたのがここ15年、最近は「大抵、逆の反応が返ってくる」と覚悟しています。
ジャブで終えたほうが良かったというケースです。
カード当てとワレットに飛行するカードは、どう考えても後者が「一捻り効いて」いるはずですが(後者は、当てて、移動しているのですから)、通常のカード当てのほうが用具が少ない分、怪しくないのかも知れません。

シンプルなカード当てがびっくりするぐらいウケて、「どうなってるんだ」とこちらが思ったりするものです。

手品は難しいですね。

<橋本英司さんからの投稿>

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